熊本労災病院

院長挨拶

 暑い中ですが、朝晩少しすごしやすくもなってきました。本日も、当HPを訪れていただき感謝申し上げます。

 8月は、お祭り、高校野球、終戦記念日、お盆、などが毎年あって、その折の記憶をとどめつつ人生を見つめ直すような月とも言えます。皆様はいかがでしたでしょうか。私は数年ぶりに、家族そろって、新潟の霊園に眠る父の墓参をしました。今回、初めて5歳の孫が同行しました。ひいおじいちゃんのお墓参りですが、行く数日前に、お墓に行くということ、ひいては死ということを保育園でなんとなく頭に仕入れてきたようで、息子(彼女の父)に、「お墓行くの怖い」、と言い出したようです。ドタキャンもありのつもりで、新潟空港からタクシーで直行しましたが、幸い直前には気持ちを整理できた(?)ようで、お墓に水をかけたりしていました。ただ、真顔で、私に「ここにひいおじいちゃんがいるの?」という質問をしてきて、私はついに来た、と思い、用意していたいくつかの答えはありながらも、「ひいおじいちゃんのたましいがいるよ、みんな来てくれて喜んでるよ」と伝えました。「たましい」って何?という次の質問は来ず、それで終わりになりました。どこから入ったの、とか、中でどうしているの、とか、いろいろ聞かれることも想定していましたが、怖がらせてもいけないし、かといって初めて来たお墓やご先祖の意味を少しは理解してほしいし、と複雑な思いでした。息子たちが子どもの時はそんなこと考えたこともなく、自分が暇になったと言うべきか、あるいは時代のせいなのか、と当時の扱いを反省もしました。ネットで調べると、幼児期にどう死を認識・受容させるか、という質問の答えが出てきます。それだけ考えている人も多いのでしょう。それ用のロングセラーの絵本が2冊あり、急遽通販で買って、当日息子に託しました。けっこう怖い内容で、読み聞かせたかは定かではありません。

 私たちは仕事柄、人の死に立ち会うことが多く、私は移植という比較的難しい外科医療をしてきたこともあり、数え切れない死亡宣告や「お見送り」をしてきました。確実に間もなく死が予想される患者さんのそばで、遠くから来たというご親族などに「点滴だけでもう他にすることは無いのか」、「元気にするという約束と違うじゃないか」、などとなじられたこともたくさんありました。自分でも、病床に付き添う間、治療や手術の内容を反芻し、ああすればこうすれば、と考え続けていました。ただ、「手術しなければ良かった」と自分で思ったことはほぼありません。生還の見込みが少なくてもゼロで無ければ、ご希望に添って、患者様、ご家族といっしょにがんばってみる、というスタンスでやってきたつもりです。臓器移植医療は神が定めた運命を覆すような医療でもあり、リスクが極めて高い時にはその実行が「医療資源の浪費ではないか」と非難されたこともありますが、しかし、是非の区別は簡単なことではありません。最近、「みとりし」という映画をプライムビデオで見ました。思えば何百回、映画と同じような場面を実際に見てきたか、自分の患者さんやご家族を思い出していました。赤ちゃんの患者さんでのご臨終の間際、長期の闘病の間ほとんど抱いたこともなかったお母さんに、人工呼吸器につないだままでも保育器から出して抱っこしてもらい、その手の中で心停止を迎えることもありました。病院での、医療者のお見送りの形も変化しつつあります。私の現役時代は、そして概ね今でもそうだと思いますが、主治医制のもと、死の間際にはその担当医や指導医が張り付き、死亡確認をして病室でご家族だけのお別れの時間を取り、その後看護師さんたちと体に入っている管を抜いたり、創を縫合したりしてから,待機されるご家族に死亡に至る経過のご説明と時に病理解剖のお願いなどをしました。そして、ご家族もご一緒に体をきれいにして、望まれる服を着せて、その後霊安室にお移しし、深夜といえども来れる医療者はみんなでお焼香をした後、お迎えの葬儀屋さんにお渡しして、ご遺体を載せた車をお見送りしする、というのが一連の流れでした。私は診療科のトップでしたから、できるだけ全部のご逝去に立ち会うようにし、予定を変更してでも在院するようにしていました。それでもどうしても立ち会えない場合は、後日、あるいは時間ができた時に、ご自宅にお参りに行く、ということもしていました。パフォーマンスとも言われそうですが、自分自身へのけじめとしてきたつもりです。来年度から、医師の働き方改革が法制化され、時間外勤務が厳格に管理されることになります。医師負担軽減の一端として、お見送りに係わる立ち会いや待合時間などを削減するために、単独主治医制を取らずに交代制にすることや、お見送りはその日の当直や当番医に任す、ことなどが提言され、実行を勧奨されています。確かに、死亡確認から実際に霊安室から車が出るまでには、短くても3時間程度の時間を要することが多く、形になる医療をするわけでもないので「無駄」と思われることも事実かもしれません。しかし、すでに私は古い医者の部類ではありますが、死に立ち会いお送りした経験は、具体的な医療の改善はもちろん、患者さんに向かう態度を常に謙虚に正す、という意味でもとても意義深かったと思っています。たくさんの医療者でお見送りをすると、何かミスでもあったのではないか、と勘ぐられることもあるそうですが、ご遺体の前で涙ぐむ医師や看護師も多く、それぞれの医療者の自然な気持ちの表れとご理解いただければと思います。みなさんは、病院でのお見送りのしかたを、どう考えられるでしょうか。

 7月28日に当HPで公表しました「お知らせ」にあります通り、当院の産科診療が年度内で休止になることが想定されています。今日も、ロビーで、出生間もない赤ちゃんの写真を熱心に撮るお父さんとお母さんの姿を見かけました。これが見られなくなるのは本当に悲しいのです。引き続き、存続や回復に向けて尽力しておりますので、ご心配ご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。

 また、これも「お知らせ」にあるとおり、「高度医療・災害対応棟」という名前の新棟が、2025年の夏には、今の南駐車場に完成します。その中に入る機能としては手術室が目玉で、手術支援ロボットや、ハイブリッド手術室などが新設されます。工事は来年春には始まります。工事などでしばらくご迷惑をおかけすることもあるかもしれませんが、工期中はできるだけご不便が無いように工夫いたします。新棟にもどうぞご期待ください。

 熊本労災病院は、その属する機構全体を含めて、資金力や政治力は弱いですが、患者様を救いたい、できるだけ元気にしたい、というひたむきな医療者の思いはどこにもまけません。この思いこそが、この病院を未来永劫、地域に愛され信頼される存在として維持してくれるものと思います。これからも、職員一同、自らを律し、優しさを心がけてさらなる向上を目指します。忌憚のないご意見や御提言もいただきつつ、変わらぬご支援をよろしくお願い申しあげます。

 令和5年8月

 院長 猪股 裕紀洋

猪股裕紀洋
熊本労災病院 院長 猪股裕紀洋
熊本労災病院 院長

猪股 裕紀洋

略歴

1977
京都大学医学部卒業
1983
国立小児病院レジデント
1987
京都大学大学院卒業 医学博士(京都大学)
1991
アイオワ大学外科留学
1996
京都大学大学院助教授
2000
熊本大学医学部附属病院小児外科教授
2005
熊本大学大学院教授(小児外科学・移植外科学)
2009-2013
熊本大学医学部附属病院 病院長
2017
熊本労災病院 院長

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