独立行政法人 労働者健康安全機構 熊本労災病院

院長挨拶

 本日も、熊本労災病院のホームページを訪れていただき感謝申し上げます。雨が、九州の南半分を継続的に襲っていますが、そろそろ梅雨前線も北上してしまいそうで、夏本番ももうすぐでしょう。お盆は、今は多くの地域でいわゆる「旧盆」として8月15日を中心に催されますが、明治の改暦を堺に、旧暦そのままに7月に行うところと、旧暦の7月が移行した8月に行うところがあります。熊本県でも、熊本市や県北では7月のお盆「新盆」が比較的多いということです。いずれにしても、亡くなられたかた、ご先祖を思う、年に一度の厳かな日々です。日本人には、その思いとともに、離散した家族が集まる、あるいは近所のお祭りの思い出など、仕事を離れたリフレッシュの時期という意味合いも大きいように思います。
 最近、母が施設に移って実家が空き家になるにあたり、少し荷物の整理に行きました。これまで何十年もそのままになった本やノートなど、手に取ると懐かしくて整理どころではなくなりしましたが、亡き父が鴨居にかけていた額に入った、古い新聞記事の切り抜きコピーを降ろしてみました。それは、昭和51年8月1日日曜日、京都新聞の「唐松診療所訪問記」でした。当時、私も入っていた医学部の登山クラブは、長野県八方尾根の上にある、唐松岳(標高2,696メートル)の山頂小屋に夏期開設の無料診療所を運営しており、新聞記者が、部長である大学の放射線科教授と、サポートしていた京都東ロータリークラブのかたとともに、なぜか自衛隊ヘリでそこを訪れて書いた記事でした。私は医学部の6年生、今なら研修先を求めてマッチングの試験を受けている時期ですが、のんびり山頂の診療所でお医者さんのまねごとと、北アルプスの山暮らしを楽しんでいました。記事は2面ぶち抜きの大作で、診療所の生い立ちや運営方法、日々の活動、患者の統計なども載せていて、山の俗化に伴う病気の変化、医師が集まらない、医療過誤と補償の懸念、などにも触れていました。部長は記事の中で、「正常と異常を識別し、緊急性を判断するなど医学生にとって有意義な活動」、と評価していました。まだ医者でもない自分が血圧を測っている写真が大きく出ており、それが、父が「残しておこう」と思った所以かと思われます。その年の学生の責任者だったのですが、奇しくも、その9年後、1985年には、医師の責任者として、上記のいろいろな問題で診療所を閉じることになりました。現代の、地域における医療問題の凝縮の様にも感じられます。その年、1985年8月12日には日航機の墜落事故があり、ちょうど最後の診療所に登るため夜行列車を降り立った白馬駅で朝食のそばを食べながら、テレビニュースを見ていたのをおぼえています。医師となって責任ある立場になれば、夏でも長期休暇取得など無理で、長い山暮らしの記憶は、そのまま青春期のみの思い出となり、気がつけば、行こうと思っても体が許さない年齢になってしまいました。特殊な環境下とはいえ、人生で初めて見ず知らずの人の脈を診て聴診し、医師の指導下で(?)初めて点滴の針を刺した日々が、それ以外の甘酸っぱい思い出とともに、父がかけていた額の中の記事の中に眠っていました。古くて読みにくくなっており、改めて新聞社に依頼して記事のコピーを取り寄せてみました。これをさらにどう保存するか、悩んでいます。みなさんの、夏の思い出はいかがでしょう。病とつながる中でのかたもおられるかもしれません。これから作られる思い出も含めて、すべてが暖かいものであることを祈ります。
 順番が逆ですが、七夕も過ぎました。当院でも、院内保育園児はじめ、多くの患者さんやご家族の願いが短冊になって竹にそよいでいました。それぞれの患者さんに最適な医療が提供できるよう、そしてご家族に満足していただけるような診療に全力を尽くす病院にならないといけないと、多くの短冊をみて思っておりました。その外部評価を受ける日、病院機能評価受審が8月5-6日に近づきました。日々患者さんご家族からいただく「ご意見」をみても、まだまだ不十分なところがたくさんあります。決して付け焼き刃ではないステップアップを目指して、職員一同準備をしております。また結果をご報告申し上げます。

猪股裕紀洋
熊本労災病院 院長 猪股裕紀洋
熊本労災病院 院長

猪股 裕紀洋

略歴

1977
京都大学医学部卒業
1983
国立小児病院レジデント
1987
京都大学大学院卒業 医学博士(京都大学)
1991
アイオワ大学外科留学
1996
京都大学大学院助教授
2000
熊本大学医学部附属病院小児外科教授
2005
熊本大学大学院教授(小児外科学・移植外科学)
2009-2013
熊本大学医学部附属病院 病院長
2017
熊本労災病院 院長